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ヴァシュロンコンスタンタン買取

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ヴァシュロンコンスタンタン買取ならジュエルカフェにお任せ下さい!ヴァシュロンコンスタンタン(Vacheron Constantin)は、1755年、ジャン=マルク・ヴァシュロンがジュネーブに創業してから260年以上の歴史を持つ高級時計メーカーのひとつです。トゥールビヨンを始めとする複雑な機構を持つ機械式時計や宝飾を多様に施した時計は気品に溢れ多くの人々を魅了してきました。「パテックフィリップ」、「オーデマピゲ」とともに世界三大時計とも呼ばれています。ヴァシュロンコンスタンタンは現行モデルはもちろん、長きに渡る歴史とギミックやムーブメントの美しさからアンティークとして高値が付き、ヴィンテージモデルが現在でも高値で取引されています。ジュエルカフェでは世界屈指の高級腕時計であるヴァシュロンコンスタンタン買取強化中です。中古・新品、製造年問わずどんな状態であってもヴァシュロンコンスタンタン買取の無料査定いたします。是非、お気軽にお問い合わせください。

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ヴァシュロンコンスタンタン買取ランキング

ランキング1

クロノグラフ
世界で最もハイエンドなスポーツモデルの1つ。「オーバーシーズ(オーヴァーシーズ)」のコンセプトは、「旅へのインビテーション」。スポーティーでありながらどこまでも優美な時計。ヴァシュロンコンスタンタンの象徴であるマルタ十字の意匠が随所に取り入れられたブレスレットも魅力。強固な防水性能と耐磁性構造によって時計本体を護ります。

ランキング2

デュアルタイム
スポーティで機能的且つ現代的な雰囲気を持つ「オーバーシーズ(オーヴァーシーズ)」。モダンな世界にマッチしたモデルです。流線型のデザインが魅力的な個性を醸し出します。昼夜表示付きの第2時間帯表示や日付表示、パワーリザーブインジケーター等々、文字盤上は賑やかに見えますが、洗練されたデザインと精緻な仕上げによってとても上品な時計となっています。

ランキング3

パトリモニー
2007年に導入されたパトリモニー・トラディショナルシリーズ。「クラシック」に回帰したパトリモニーコレクションは、伝統的な機械式時計の純粋な美しさとスタイリッシュな気品を感じさせるモデルです。現代にありながら、本物のクラシックとエレガントを体現し、かつシンプルでバランスのとれた文字盤デザインに歴史を感じる、誰もが憧れる逸品です。

買取価格レポート!

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥2,500,000でお買取いたしました!

    福岡県 ヴァシュロン マルタ クロノグラフ

  • 買取相場

    出張買取

    ¥1,200,000でお買取いたしました!

    広島県 ヴァシュロン パトリモニー トラディショナル

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥2,900,000でお買取いたしました!

    富山県 ヴァシュロン オヴァーシーズ・デュアルタイム

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥1,200,000でお買取いたしました!

    山形県 ヴァシュロン オーヴァーシーズ・クロノグラフ

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全国のジュエルカフェ店舗、宅配買取・出張買取にてお買取した商品の買取価格をご紹介いたします!

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    福岡県 ヴァシュロン マルタ クロノグラフ

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ご利用いただいたお客様の声

店頭買取 「他店より断然高くてびっくりしました。」

数十年前の昔に手に入れたヴァシュロンコンスタンタンでしたが、今となって全然使う機会が無くなりケースの中にずっと眠っていました。もう使わないし売ろうと思い近くにある数店ある時計買取店に査定に出したらジュエルカフェが1番高い値段を出していただきました。値段の差が結構あったので間違いかと思ったのですが、しっかり査定をした結果とのことで間違いはなく、とても満足しました。接客も丁寧で居心地が良かったです、ありがとうございます。

「ヴァシュロンコンスタンタン買取強化中です!」

女性スタッフ

「ヴァシュロンコンスタンタン買取強化中です!」
この度はヴァシュロンコンスタンタンをお売りいただきまして誠にありがとうございました。私どもがどこよりも高くお買取りできる理由は海外含め販路をどこよりも多くもっていることと、より細かいところまで査定をしているところにございます。純正ブレスの余りコマ等もプラス評価をさせていただき、お客様のご期待に添えるようにお値段を出させていただきました、ヴァシュロンコンスタンタンは世界でもトップクラスの老舗ブランドですが市場では比較的数が少ないので、希少価値のプレミアも上乗せされて高価買取ができます。ジュエルカフェはヴァシュロンコンスタンタン買取強化中です。ヴァシュロンコンスタンタン買取以外にもパテックフィリップやオーデマピゲなども同じく買取に力を入れておりますので、是非またご利用いただけましたら幸いです。

女性スタッフ

店頭買取 「商業施設に店舗があるので安心して取引ができました。」

時計買取店の利用は初めてでした。近くの巨大ショッピングモール内でジュエルカフェを見かけ、私が昔海外テナントリーシング関係の仕事もしており、このモールは信用ある企業でないと入居できないことを知っていたので、安心して利用ができました。ヴァシュロンコンスタンタンの時計は思い入れもありましたが、別のコレクションの糧にすべく手放すことにしました。スタッフも誠心誠意で対応いただいて感謝しています。納得の金額で高額ながらもすぐ現金でいただけたことが良かったです。

「素敵な時計をお売りいただき誠にありがとうございました。」

女性スタッフ

「素敵な時計をお売りいただき誠にありがとうございました。」
この度はご来店誠にありがとうございました。ジュエルカフェは沢山の商業施設へ出店しております。最大手施設がメインとなりますが仰る通り、買取実績やお客様の満足を積み重ねた信用があるからこそ200店舗以上の規模になれたと思っております。これからもご安心して来店して頂けるように日々向上して参ります。今回お売りいただきましたヴァシュロンコンスタンタンですが、風防、リューズ、ベゼル、ベルト、フラッシュフィット等確認させていただきまして、状態も良く、保証書・シリアル・箱も全て完備されておりました。更に人気のモデルで、私どもの強みである海外ルートで特に需要がございますので、自信をもって他店にも負けないベストプライスにて提示させていただきました。ヴァシュロンコンスタンタン買取強化中ですが、ヴァシュロンコンスタンタン買取以外のブランド時計も多くお買取しておりますのでまた是非ご利用下さい。お待ちしております。

女性スタッフ

店頭買取 「近くのジュエルカフェさんを利用させていただきました。」

地方に住んでいた為にどこか近くで時計が売れるところが少なく探していたのですがジュエルカフェさんが商業施設にあることを折込チラシで知り早速問い合わせをしました。メールや電話でも親切丁寧な対応で、とても好感が持てました。おおよその金額が分かって店頭へ持ち込むことになり、女性スタッフに見せたのですが、資料を取り出して改めて相場をチェックしている感じでした。古いヴァシュロンコンスタンタンでしたが、予想価格より更に上の値段がついて驚きでした。利用して良かったです。

「ご満足いただけるお値段が出せるように市場動向は日々チェックしています。」

男性スタッフ

「ご満足いただけるお値段が出せるように市場動向は日々チェックしています。」
この度はご来店ありがとうございました。事前に問い合わせをいただいておりましたので、私どももご来店前に情報収集とどこまでお値段が頑張れるかシュミレーションができました。ジュエルカフェは全国200店舗展開しておりますので、地方にお住まいの方でも足を運べることと、相対でお買取りの相談ができますので特に高価なお持ち物になるほど、お客様からは安心できるという声を沢山頂戴しております。お気軽に査定ができるような環境作りを目指しておりますので、今回もお客様に喜んでいただけましてとても嬉しく思います。今回アンティークのヴァシュロンコンスタンタン買取のお持ち込みいただきましたが、世界最高峰のブランドですので、コレクターの方も多くしっかりお値段は付きます。ジュエルカフェは海外4カ国にも関連会社を運営していることから海外流通ルートが強みで高額買取を実現させております。ヴァシュロンコンスタンタン買取以外にも様々な物をお買取しておりますので、また是非お気軽にご来店下さい。ジュエルカフェでは引き続きヴァシュロンコンスタンタン買取強化中です。スタッフ一同お待ちしております。

男性スタッフ

ヴァシュロンコンスタンタン買取について

パテックフィリップ、オーデマピゲと共に世界三大時計メーカーの一つとして数えられているヴァシュロンコンスタンタン(VACHERON CONSTANTIN‎)は1755年にジャンマルク・ヴァシュロンによって創業され、実に260年もの歴史を誇る老舗ブランドです(バシュロン、バセロン、バセロンコンスタンチンとも呼ばれます)。継続的に時計の製作を続けてきたブランドで『世界最古のウォッチメゾン』と称され、あまたあるスイスの時計メーカーの中でも希少な存在です。1819年にヴァシュロンの孫であるジャック・バルテルミが企業経営に優れていたフランソワ・コンスタンタンを共同経営者として迎え、社名を現在の『ヴァシュロンコンスタンタン』に変更し事業を拡大させます。1880年に現在ではヴァシュロンコンスタンタンの象徴とも言われる『マルタ十時』を商標登録しました。マルタ十字は4つの「V字型」をした紋章が底部で結合した形をしており、突き出た八つの角は騎士道における八つの美徳「謙虚」「思いやり」「礼儀」「献身」「慈悲」「清らかさ」「平和」「忍耐」を象徴するものとされています。ヴァシュロンコンスタンタンでは、豪華な宝石を散りばめた宝飾時計のほか、根強い人気を誇る機械式時計などが販売されています。代表的なモデルには、パトリモニー(PATRIMONY)、マルタ(MALTE)、ロイヤル(ROYAL)、イーグル(EAGLE)、オーヴァーシーズ(OVERSEAS)、トラディショナル(TRADITIONNELLE)、ハーモニー(HARMONY)、ケ・ド・リル(QUAI DE L’ILE)、ヒストリーク(HISTORIQUES)、ウール・クレアティヴ(HEURES CREATIVES)、メティエ・ダール(METIERS D’ART)などがあります。機能性や腕へのフィット感が高く、長年使っても飽きの来ないシンプルなデザインが特徴となっています。またトゥールビヨンなどの複雑機構を備えたモデルからメルカトールと呼ばれる地図をモチーフにした少し変わったデザインのモデル・ダイヤモンドを使用した宝飾系の時計など、グラフィックアートや芸術性の高い装飾を意識したモデルなども多々販売されています。状態が良い物はもちろんですが、風防が割れているものやベルトが壊れているもの、動かないものなど状態に難がある商品でも積極的に買取しておりますので是非お気軽にお持ちください。

 

継続する時間の中で築かれ続ける伝統

1755年、ジュネーブでジャン・マルク・バセロンが時計工房を開きました。その翌年、ヨーロッパ列強が北米やインドの領土争いを繰り広げる7年戦争が勃発し、10年後にはアメリカで独立戦争が起きました。現代の世界地図が完成する前夜でした。また紡績機械や蒸気機関の発明が行われ、産業の近代化も進んでいた時代でした。1751年にはジャン・ジャック・ルソーが「百科全書」を著し、近代思想の扉を開いています。時代の変革が進む中で、現代へのかけ橋ともいえる時代でした。こと時計作りに関していえば、宗教改革に対する迫害を逃れてフランスやドイツから多くの時計職人がジュネーブに居を移したのが16世紀です。折りしも「ニュールンベルグの卵」に代表される携帯時計が作られるようになった頃です。それまでジュネーブのひとつの産業として根づいていた宝飾細工は、当時のヨーロッパに大きな影響力を持っていたジュネーブに住む宗教改革の旗頭、カルヴァンによって存在を否定されることになります。彼は奢侈を嫌った為、民家の壁面に描かれた見事なフレスコ画すら黒く塗り潰すことを強要しました。職を失った宝飾細工師はフランスやドイツから逃れてきた時計職人からその技を学び、次第に時計作りは広まっていきました。16世紀の終わりにはジュネーブの時計は高く評価され、1601年には時計職人のギルドも結成されました。1690年代にはすでに時計作りはジュネーブの主要産業として確立していたと言われています。新教徒を開放した「ナントの勅令」が廃止された1685年には再び大量の時計職人がドイツやフランスからジュネーブに逃れ、時計産業発展の力となりました。携帯時計の技術進化をみれば18世紀にオランダのクリスチャン・ホイヘンスがヒゲゼンマイを発明し、時計精度は大幅に高まり、時計は携帯する道具としての信頼性を得るようになっていいました。そしてジャン・マルク・バセロンはキャビノチェと呼ばれた時計職人のひとりでした。バセロン・コンスタンチンを語るとき、必ずや登場するキャビノチェという言葉、屋根裏部屋(キャビネット)で時計作りを行っていた職人たちをさしますが、彼らはジュネーブの知識階級の代表でもありました。思想家ジャン・ジャック・ルソーが「パリの時計職人は時計についてだけしか知らないが、ジュネーブの時計職人はあらゆることを自信をもって語る」と語ったように、彼らはすぐれた技術と才能、知性、感性を備えた才人でありました。彼らの存在がなかったとしたら、「ジュネーブの時計」という特別な意味をもつ高級時計は生まれ得ませんでした。また、18世紀後半には人口の5分の3が時計作りに携わっていたというジュネーブですが、勤勉で倹約家というジュネーブの人々の特質が、「ジュネーブはスパルタの規律とアテネの端正さがひとつとなっている」とルソーが語るように妥協を許さない時計作りを完成させました。ジャン・マルク・バセロンがそれまで分業で行われていた時計作りをひとつの屋根の下で行う協業体制を作った意義は大きくあります。彼は完成した時計に「ジャン・マルク・バセロン」と刻みました。バセロンの名にコンスタンチンが加わるのは1819年のことです。3代目のジャック・バルテレミー・バセロンの時代に積極的なビジネスマン、フランソワ・コンスタンチンとの出会いが今日のバセロン・コンスタンチンの基盤を作り、また国際市場に向けての発展の足掛かりを得たのでした。スイスの時計産業に機械化をもたらしたという点でもバセロン・コンスタンチンの功績は大きくあります。1837年、天才発明家として知られたジョルジョ・オーギュスト・レショーに多額の資金援助を行い、その2年後、彼は互換性のある部品製造のための工作機械を完成させました。この機械によって部品の品質は均一化し、精度の向上も可能になりました。「可能ならばより最善を求めよ。それは常に可能である」というフランソワ・コンスタンチンが確立した企業理念が、ジュネーブの時計メーカーとしての誇りとあいまって、より高精度で、より美しい時計作りへと情熱を傾け、実現に向けて努力が続けられたのでした。1910年代からは腕時計の製造が開始していますが、55年には厚さ1.64ミリの手巻き極薄ムーブメントを、67年には2.45ミリの自動巻き極薄ムーブメントを開発し、薄さによって得られるドレスウォッチの美しさはより洗練されました。こうした技術開発の努力はたゆむことはありません。260年以上の流れのなかで何度か社名も変更が重ねられ、経営母体も変遷を遂げています。社名をいえば、1887年にバセロン&コンスタンチン・ジュネーブとして登録されましたが、1974年にバセロン・コンスタンチンと変更され、バセロンとコンスタンチンの間の&が消え、現在に至っています。しかし、一流であることを追求することは変わりありません。18世紀の半ばから今日まで、社会、経済、科学などいずれの分野をとってもどれほどの変化があったかは歴史が語っています。バセロン・コンスタンチンとてその波風を避けて通るわけにはいきません。最近では1996年にヴァンドーム・グループの傘下に入り、春の新製品発表の場をバーゼルからジュネーブへと移しています。しかし、ジュネーブの高級時計作りを一貫し、常に変わらぬ創造性を発揮していることは変わりません。最善であることを望むがために、進化を拒まず、最善を自負するがゆえに、妥協を許さない。この姿勢も決して変わることなく次代に継がれています。時間は時にゆるやかに、時に激しく流れ続けます。

ヴァシュロンコンスタンタンの歴史年表

1751年… ジャン・マルク・バセロン(Jean-Marc Vacheron 1731~1805)、時計職人としてスタートする。
1755年… ジャン・マルク・バセロン、ジュネーブのシテ島に時計工房を創設。時計にはJeanMarc Vacheronとサインを刻印する。
1785年… アブラハム・バセロン(Abraham Vacheron 1760~1843)が父ジャン・マルク・バセロンの後を継ぐ。最初の外国の顧客はフランス貴族だったが、フランス革命が勃発し、バセロン・コンスタンチン社の発展に支障をきたす。
1786年… 10月2日、アブラハム・バセロンがアン・エリザベス・ジロ(AnneElizabeth Girod)と結婚、彼女の父親とのパートナーシップを結ぶ。時計にはVacheron Girodと刻印される。
1810年… 8月9日、彼の息子であり、後継者であるジャック・バルテレミー・バセロン(Jaque Barthelemy Vacheronがキャサリン・エティネット・ショサ(Catherine Etiennette Chossat)と結婚する。当時、ジュネーブはフランス領地であった。1814年までバルテレミー・ジロはパリに住み、ジュネーブから送られてくる時計の販売網を確立する。
1811年… カーンのVentoroux Hersentがリピーター・ミュージカル・ウオッチ、ヴァージ・エスケープメント・リピーター・ウオッチ、レピーヌ・レイアウトの23ラインの時計を注文する。
1812年… 6月17日、ジャック・バルテレミーの息子、シャルル・セザール・バセロン(Charles-Cesar Vacheron)誕生。ベルガー&クラマー社のセールスマン、P.H.バタール(P.H.Batard)がバセロン・ジロの時計をイタリア市場に紹介する。バセロンン・ジロ社、イル通り226のメゾン・ファブルに移る。
1813年… バセロン・ジロ社、高級ケースメーカーであるオルトラメール(Oltramare)と提携する。バセロン・ジロ社、ブレゲに時計完成品を納入する。ジュネーブで最も優れた時計職人として知られたバレンティン・アラマンド(Valentin Allamand)がバセロン・ジロ社に入り、最終調整、コントロールを担当する。フランスの徴兵のため80人の技術者が戦場に駆り出される。
1814年… オーストリアがジュネーブを侵略したため、一時期的に生産を停止する。バセロン・ジロはシルバーとゴールドの文字盤を使い始める。これがトレンドとなり、1830年代まで継続する。
1816年… ジロが引退する。ジャック・バルテレミー・バセロンはシャルル・フランソワと協力関係を結ぶ。7月1日、社名をバセロン・ショサ(Vacheron-Chossat & Cie.)と変更する。ジャック・バルテレミー・バセロン、イタリアを視察する。チューリン在住の王室付き時計職人、マルティナがバセロン・ショサの顧客となる。チューリンでのビジネスは好調で、ジャック・バルテレミー・バセロンはそれまでの年間売上げの3倍にあたる8万フランを期待できると予測。特にシリンダー、あるいはヴァージ・エスケープメント、またはレピーヌ・レイアウトのリピーターウオッチ、またルビー・エスケープメントを備えたもの、さらに普通クラスあるいは高級クラスの17ラインのハンティングケースウオッチが売れると考えた。社屋をローヌ通り42にあるメゾン・トレンブレイに移す。ジャック・バルテレミー・バセロン、初めてローマを視察する。
1819年… 4月1日、ジャック・バルテレミー・バセロンとシャルル・フランソワ・ショサはエネルギッシュなフランソワ・コンスタンチン(Francois Constantin)を共同経営者として招く。社名をバセロン・コンスタンチン(Vacheron & Constantin)と変更する。フランソワ・コンスタンチンは会社の企業理念である「可能ならばより最善を求めよ。それは常に可能である」を確立する。シンボルのマルタ十字が初めて時計に刻み込まれる。パリの宝石商、ウォティンがバセロン・コンスタンチンの顧客となる。フランス、イタリアを旅行するために馬車を購入。中級品を「ジロ・コロンペイ(Girod-Colombey)」というブランド名で販売する。この名称は1820年以降は見られない。また、中級品のブランド名として「バセロン & Cie (Vacheron & Cie)」も採用。ブレゲタイプのリピーターウオッチをロシア皇子に770フランで販売。中級品のブランド名として「フレール・デサール(Freres Desart)」を採用。新たにブランド名として「バセロン&ジロ(Vacheron & Girod)」を採用。プリンス・ボルゲーゼ(Prince Borghese)がバセロン・コンスタンチンの顧客となる。フランソワ・コンスタンチン、初めてナポリを視察。ナポリのボルディエ(Bordler)がバセロン・コンスタンチンの顧客となる。「不レーレ・デサール(Freres Desart)」のサインが入った22ラインの時計36個を注文。そのうち6個はゴールドの文字盤を使用。
1820年… (Issac Soret)というブランド名力物めて使われる。これはシンプルな時計あるいはリピーターに用いられた。最終仕上げの腕を高く評価されていたボウヴィエ(Bouvier)がバセロン・コンスタンチンに参加する。
1821年… ジャヴェルの水を使うと多色のゴールドから赤を取り除くことができる、ということが発見される。「ジャヴェルの水に浸すと、赤が消えていくのがわかる。それからそれを清水ですすぎ、石けんで洗い、おがくずにつける」と記される。イタリア市場向けのリピーターウオッチに「ジェルミーニ(GELMINI)」というブランド名をつける。これは古いキャリバーにも新しいキャリバーにも用いられた。
1822年… タヴァンの生徒であったジャコ(Jacot)とラギエ(Lagier)がバセロン・コンスタチンに入り、デッドビート・エスケープメントの時計の性能向上に努める。「ジロ・コロンビー(Girod-Collomby)」のブランド名がつけられた中級クラスの時計はすべて「アブラハム・バセロン・ジロ(Abraham Vacheron Girod)」の名前に変更される。バセロンは良質の音を出すゴングを開発するために十分な研究が必要だということを手紙のなかで指摘。また、ヴァージ・エスケープメントを用いたウオッチがまだ生産されていることを言及。
1823年… プッシュピース、石つきエスケープメント、温度補正装置、ルビー9石を備え文字盤片面がエナメル加工、片面がシルバー仕上げというリピーターウオッチをオーストリアの大使に販売。クロノメーターウオッチをエステナリー伯爵(Count Estenary)に販売。
1824年… フランソワ・コンスタンチンがバセロン・コンスタンチンの「大使」としてヨーロッパ各地をまわる。ゴールドエナメル仕上げのかぎタバコ入れをプリンス・ボルゲーゼ(Prince Borghese)のために作る。これには皇太子愛用の武器の絵がエナメルで施されていた。力バーには皇太子のイニシャルであるPCBが記され、その周囲にLEFION D’HONNEUR、聖ステファンの鉄の王冠、ゴールデン・フリースの勲章が施された。
1825年… デショウデン(Dechoudens)とジャコ・ジョリー(Jacot-Joly)の二人の職人が入る。セザール・バセロン(Cesar Vacheron)がエコール・ドウ・ブランに入る。
1826年… 非常に優秀な職人、ファジー(Fazy)が入社する。
1827年… 12人の外国人のための時計学校設立を企画する。期間を15~18ヶ月として、さらにレピーヌ式ウオッチ組立の修行期間を10ヶ月設けた。
1828年… シャルル・アランソワ(Charles Francois)が会社を離れ、アンリ・アルマンド(Henri Armand)が参画するが、彼は共同経営者とはならなかった。
1829年… 複雑時計をはじめとするムーブメントのプロであったピット(Pitt)がバセロン・コンスタンチンに入る。
1833年… アメリカへの輸出を始め、毎月、商品を納入する。
1834年… アメリカ市場をフィラデルフィアまで拡大する。工房を「アングル・デ・ベルグ」の3階に設ける。
1836年… アメリカ・ニューオリンズでの販売を始める。
1839年… バセロン・コンスタンチンにとってのみならず、時計全般にとっても非常に重要な年となる。6月29日、ジョルジュ・オーギュスト.レショー(George-Auguste Leschot 1800~1884)と時計製造工作機械開発および製造の協力契約に調印する。この結果、開発されたパンタグラフはアルチザン的時計製造の終わりを意味し、工業としての時計製造の夜明けとなった。レショーの発明によって、バセロン・コンスタンチンは初めて互換性のある部品によってキャリバーを製造するメーカーとなり、時計の生産体制を確立する。アンリ・アルマンド死去。
1840年… 工房の一部をバルテリエ通り11の5階に移す。リオ・デ・ジャネイロを中心とする南米との取引が始まる。時計産業を機械化した功績を認められ、金メダルが授与される。
1842年… レショーの機械を使って初めてムーブメント製造が始まる。
1843年… シャルル・セザール・バセロン(Charles Cesar Vachron)が参画する。彼はピットから組み立て、調整を学ぶ。ハバナとの取引が始まる。
1844年… 社屋をトゥール・ド・イルに移し、1875年まで営業する。11月よりレショーがバセロン・コンスタンチンの専属となる。アントワーヌ・レショー(Antoine Leschot 1812~1879)がジョルジュ・オーギュスト(Georges-Auguste)の研究に加わり、レバーエスケープメントの製造開発を行う。これ以降、レバーエスケープメントは通常の製造ラインにのる。10月10日、ジャック・バルテレミー引退する。シャルル・セザール・バセロン(Charles Cesar Vacheron)がコンスタンチンのパートナーとなる。これは1854年にコンスタンチンが死去するまで続く。
1845年… サンクト・ペテルスブルグのアレクサンダー・ニコラス・ドルゴルキー皇子(Prince Alexander Nicholas Dolgoruky)のための時計を作る。これはバセロン・コンスタンチンが「精度、ケースの装飾ともに最高のものである」と認めた傑作のひとつである。
1848年… 初めてオランダおよびその植民地との取引を行う。
1849年… 30年にわたりヨーロッパ各地をまわっていたコンスタンチンがジュネーブに戻る。
1850年… チューリンのサリオ伯爵が天体観測時に使う時計を注文する。スペイン市場に向けてダブル・パーパスウオッチを製造する。つまり夫婦のための時計で、男性、女性がどちらでも使うことができるようになっていた。
1854年… 5月22日、フランソワ・コンスタンチン死去。シャルル・セザールはフランソワ・コンスタンチンの甥であり後継者であるジャン・フランソワ・コンスタンチン(Jean-Francois Constantin, Francois)を共同経営者として迎える。彼はドイツの販売網を確立する。ふたりの経営者それぞれに17万5000フランの純益をもたらす。
1855年… 初のリュウズ巻き時計を製造。ジョイント・ワインディング・ステムの発明。
1864年… ジャック・バルテレミー・バセロンが77歳で死去。
1865年… 中国の皇帝のためにダイヤモンドを施し、ブルーエナメルで仕上げた大型の時計を作る。
1867年… ジャン・フランソワ・コンスタンチンが現役を退くが、資本はそのまま存続する。シャルル・セザールの息子が経営に参加し、11月23日、社名を「Cesar Vacheron, ancienne maison Vacheron & Constancin」とする。
1868年… シャルル・セザール・バセロン死去。
1869年… 6月29日、シャルル・バセロン(Charles Vacheron)がマネージング・ディレクターとなる。ジャン・フランソワ・コンスタンチンは名目上の共同経営者となる。社名をCharle Vacheron & Cieとする。シャルル・バセロンを補佐するためにヘンシュ銀行からフィリップ・ワイス(Philipe Weiss)を引き抜く。
1870年… 4月19日、バセロン一家最後のシャルル・バセロンが死去。彼は18ヶ月、経営に参加して終わる。12月22日、マダム・セザール・バセロン(Madame Cesar Vacheron)がアクティング・ディレクターとなり、ジャン・フランソワ・コンスタンチンは名目上の共同経営者にとどまる。社名は「Vve Cesar Vacheron & Cie」となる。フィリップ・ワイスが経営の主導権を握る。レショーは引き続き製造を監督する。
1871年… フィリップ・オーガスト・ワイスが兄弟のジュール・ワイスをレショーのアシスタントとして紹介する。
1875年… トウール・ド・イルのオフィスは従業員全員を収容するには手狭となる。そのため社屋を今日のクウェイ・デュ・モウリンに移す。
1880年… マルタ十字を商標登録する。ロンドンに代理店を開設する。
1881年… アメリカ・コネチカット州ニューヘイブンのエール天文台での精度コンテストで記録的な成績をあげ、最優秀賞を受ける。
1886年… スイス国民博覧会で最高賞である金メダルを獲得。
1887年… マダム・セザールバセロン死去。Vacheron & Constantin, Genevaの社名で有限会社として登録する。オーギュスト・ワイスがジェネラル・ディレクターに、彼の兄弟のジュール・ワイス(Jules Weiss)が代表者となる。極薄懐中時計を工作機械により製造。
1889年… 特許468 手巻きに関する新機構、特許575 ペンダント(環)部分の時刻合わせに関する改良、特許694 ペンダント部分に組み込まれるリングに関する新機構。
1890年… 3つの複雑機構をもつ時計を製造する。
1895年… ムーンフェイズと永久カレンダーを備えたダブルフェイスのポケットクロノメーターを製造。2月22日午前8時、トレードマーク「アストラル」をNo.7312で登録する。
1896年… 社名をVacheron & Constantin S.A.とする。ジュネーブのスイス展で金賞を受賞。ジュネーブ天文台の国際精度コンクールで第一位を獲得。ミラノ博覧会で第一位を獲得。
1899年… フィリップ・ワイスの死去により、ジョルジュ・グランジャン(Georges Grandjean)がディレクターに就任。
1901年… 特許21561 時刻合わせ機構の完成。
1902年… 10月20日午前8時、トレードマーク「トライデント」をNo.15123で登録。
1904年… セルビアのキング・ピーター(King Peter)より聖サバ勲章を贈られる。ジョルジュ・グランジャンが社長に任命される。
1906年… モウリン通りの―階にショップを開店する。その後、地下に移る。
1907年… 5月28日午前8時、「クロノメーター・ロワイヤル」をNo.22193で登録する。これは時計およびケースに使用する。
1908年… 5月30日午前8時、「ロワイヤル・クロノメーター」をNo.23872で登録する。
1909年… クロノグラフ、積算計、アラーム、トリプルデイト、ムーンフェイズ寸き懐中時計を製造する。
1910年… キュウ天文台の精度コンクールで、100点中94.5点の成績をおさめる。
1911年… 11月18日、資本金が30万フランから60万フランになる。会社の博物館に展示するために時計を初めて買い戻す。7型、8型、9型のサイズのムーブメントを搭載した腕時計を作る。最初の女性用時計登場。
1912年… 3種の複雑機能を備える限定シリーズを作る。
1913年… 最初の男性用腕時計を発表。ムーンフェイズ、イクエーションタイム(均時差)、パリの日の出、日の入り表示を備えた永久カレンダーウオッチを作る。
1914年… ベルンのスイス国民博覧会でグランプリ獲得。フランスのリヨン国際博覧会でグランプリを獲得。永久カレンダー、ムーンフェイズ、イクエーションタイム、日の出、日の入り表示を備えたポケットクロノメーターを製造。第一次世界大戦勃発。イギリス軍とアメリ力軍からクロノメーターとコンパスの注文を受ける。
1917年… アメリカ遠征軍に「コープ・オブ・エンジニア(工兵部隊)」と名付けられた時計を供給する。8個の角型時計、カーブしたケースを持つもの、八角形のもの、トノー型、オーバル型などの腕時計を製造する。30分計とリュウズ同軸のプッシュピースを備えた最初の腕時計クロノグラフを製造する。
1919年… 最初のパワーリザーブ・インジケーターを備えたマリンクロノメーターを製造。銀製ケース入り。英国天文台の精度保証付のムーンフェイズ、イクエーションタイム、日の出・日の入り付きの瞬間調整永久カレンダーウオッチを製造。
1922年… 特許No.101652 ウオッチ用レギュレーター。合衆国海軍天文台の精度コンクールにおいてデッキウオッチが好成績を収める。
1923年… 特許No.105967 ウオッチ用微調整装置。13型ムーブメント搭載の積算計つきクロノグラフを12個、製造。
1925年… 特許No.112829 ゼンマイ香箱。初のジャンピングアワー付きポケットウオッチを製造。初の競技用クロノグラフを製造。一組のクロノグラフをひとつのボックスに収納。
1926年… デタントエスケーブメント付きの3つのマリンクロノメーターのシリーズを製造。イクエーションタイム、日の出・日の入り、永久カレンダー、ムーンフェイズ付きのポケットクロノメーターを製造。
1927年… 24時間表示とコンパス搭載ポケットウオッチを製造。エジプトのファルーク王(King Farouk)のためにハンティングケース入りの非常に複雑なポケットウオッチを製造。
1928年… ハンティングケース入りアラーム付きトリプルコンプリケーションウオッチ製造。カーブしたスクエアケース入りのトリプルデイト付き腕時計製造。
1929年… 最初のハンティングケース入り腕時計。最初のジャンピングアワー付き腕時計を宝飾時計店ギュベリン向けに製造。最初の腕時計クロノグラフ製造。シングルボタン付き。トリプルデイト付き角型腕時計製造。ムーンフェイズ、3つのハンマー付きミニッツリピーター、スプリットセコンドクロノグラフ、積算計、アラーム機能搭載のハンティングケース入り永久カレンダー製造。
1930年… 超薄型高精度時計発表。最初のGMT付きポケットウオッチ製造。トリプルデイト、ムーンフェイズ搭載の10型ムーブメントをクッションケースに収めた腕時計製造。
1931年… 12型ムーブメントのミニッツリピーター腕時計製造。
1932年… スケルトンテーブルクロックの限定版製造。
1933年… レトログレード永久カレンダー付きトノー型腕時計を2個製造。そのうちのひとつはムーンフェイズ付き。
1934年… エジプトnファハド王(King of Fuad)のために非常に複雑なポケットウオッチを製造。グランドソネリー、プチソネリー、3つのハンマー付きミニッツリピーター、アラーム、閏年表示付き永久カレンダー、ムーンフェイズの複雑時計で、ムーブメントはレバーエスケープメント、ブレゲひげゼンマイ付きのギュロームバランスを搭載。
1935年… 特許No.184994 クロノグラフの積算計。
1936年… 最初のドライバーズウオッチ発表。ミニッツリビーター、レトログレードカレンダー付きの最初のトノー型腕時計製造。
1938年… ジョージ・ケトラーがディレクターに就任。
1939年… 戦争中の資材不足を想定して、アルミニウムのドレスウオッチを限定数、試作する。アミニウムはステンレススチール、真鍮、銅、ニッケル、貴金属の代用として考えられた。
1940年… 30分リピーター付きの非常に薄型の腕時計を製造。イエローゴールド、ピンクゴールド、プラチナ製でそれぞれに異なるリファレンスナンバーを設けた。この腕時計は1960年代まで販売された。
1945年… ミニッツリピーター付き腕時計。リファレンスナンバー4261。
1949年… GMT付きポケットウオッチ製造。
1953年… エリザベス女王の戴冠式に使用される。
1955年… バセロン・コンスタンチン創設200周年を記念して、1.64ミリの極薄ムーブメントCal.1003を製造。ジュネーブ平和会議において米、ソ、英、仏各国首脳への贈り物に選ばれる。
1957年… 特殊な時刻合わせ機構を持つ自動巻きワールドタイムウオッチを3個製造。
1961年… 特許No.644980 防水式リューズ。
1965年… この年より2年連続でジュネーブ市賞時計部門において最高賞受賞。
1967年… 薄型ムーブメントCal.1120の自動巻き時計完成。
1969年… ジョージ・ケトラー死去。経営はその息子のジャック(Jacques)の手にわたる。
1972年… 「ストラクチュラ」がプレステージ・ドウ・ラ・フランス賞を受ける。
1974年… 社名をVacheron Constantin SA と変更。
1977年… 創設222年を記念して222シリーズを発表。
1979年… 118個のエメラルドカット・ダイヤ、計130カラットを使った非常に豪華な腕時計「カリスタ」発表。
1983年… 自動巻きの永久カレンダー機構を備えた腕時計を発売。
1985年… 創業230周年。この年より記念モデルが作られ始める。初代記念モデルは「モデル230」で230本限定。
1987年… ジャック・ケトラー死去。A.Z.ヤマニー(A.Z.Yamany)が筆頭株主となる。
1988年… クロード・ダニエル・プレロックス(Claude Daniel Proellochs)がバセロン・コンスタンチンの代表取締役に就任し、経営を引き継ぐ。永久カレンダー腕時計、スケルトン永久カレンダー腕時計発表。
1990年… 新社屋建造。
1991年… 年問製造本数が1万本を越える。
1992年… 「The World of Vacheron Constantin」出版。ミュリエル・セショー(Muriel Sechaud)の手になる19世紀スタイルのエナメルポケットウオッチを発表。ミニッツリピーター、トゥールビヨン、自動巻き永久カレンダー・クロノグラフ、超極薄時計(手巻き1.20ミリ、自動巻き2ミリ)などを発売。この年から94年にかけて世界主要12都市を巡回する「ワールド・ツアー」開催。
1993年… ミニッツリピーター腕時計とスケルトン・トゥールビヨン腕時計を発表。ジュネーブ時計学校の生徒に対する奨学金制度を発表。
1994年… スケルトンのトゥールビヨンとミニッツリピーターを発売。「ワールド・ツアー」の最後を飾るオークションを開催し、限定50本の特別な文字盤を持つ「メルカトール」のNo.1を出品。
1995年… 創設240周年を記念して「モデル240」を発表。
1996年… アメリ力のナチュラリストであり動物画で知られるジョン・ジェイムズ・オーデュボンを讃え、彼の絵を再現したエナメル文字盤のシリーズを発表。スポーツウオッチ「オーバーシーズ」発売。記念モデル「キャビノチェ」発表。ヴァンドーム・グループの傘下に入る。
1997年… 自動巻きムーブメントCal.1120発表。30周年を記念したモデル「シャンベラン」発表。
1998年… 「クロノメーター・ロワイヤル」発表。

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