国内最大級の総合リユース専門店ジュエルカフェ

業界最大級の高価買取!

ルイヴィトン買取なら全国展開のジュエルカフェ!

ルイヴィトン買取〈LOUIS VUITTON〉ならジュエルカフェにお任せください!モノグラム、ダミエ、ヴェルニ、エピ、タイガなど、エレガンスさと機能美を兼ね備えたコレクションは世界中の女性達から圧倒的な支持を得ています。ジュエルカフェではメンズ・レディス・アクセサリやノベルティに至るまで幅広い品目をカバーし、買取業界最大級のメリットを活かした高価買取でお客様にご満足いただいています。メールやLINEでのルイヴィトン買取査定も対応しております。「ルイヴィトンを買い替えたい。」「新しいブランドバッグを購入する資金の足しにしたい。」等のご要望あるお客様は是非、買取専門店ジュエルカフェをご利用ください。

買取例 専門スタッフによる高額査定!
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「こんなものも買い取ってもらえるの?」そんなご相談も大歓迎!
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ルイヴィトン買取ランキング

ランキング1

モノグラム
ヴィトンといえば、モノグラム!と言えるのではないでしょうか。ルイヴィトンの創始者のイニシャルを配したこの模様は、当時パリの万国博覧会をきっかけに大流行していたジャポニズムの影響を強く受けた2代目当主ジョルジュ・ヴィトンが考案したデザインで、日本の家紋をモチーフにして作られました。モノグラム柄が日本で特に人気が有るのも、日本人に馴染みのあるデザインだからなのかもしれません。発売当時のモノグラムモチーフは、現在のようなプリント加工ではなく、職人の手により一つ一つ手描きで仕上げておりました。

ランキング2

ダミエ
チェス盤を模したベージュと茶褐色の格子柄にルイ・ヴィトンの銘が入ったダミエ・ライン。モノグラム同様に、パリ万博後にフランスで日本ブームが沸き起こり、日本の市松模様にヒントを得て開発されたラインです。ヴィトンの歴史上ではモノグラムより古いラインで、モノグラム登場後一時期ラインからは消えておりましたが、モノグラム100年記念として復刻。その際、予想以上に人気を博した為、その後に定番化され現在に至ります。 ブラウンの濃淡の市松模様がモノグラムよりも落ち着き優美で雰囲気で大人っぽい印象になります。

ランキング3

ヴェルニ
ヴェルニはフランス語でエナメルを意味します。カーフスキンにエナメルを施し、ロゴを型押ししたデザインは他のラインでは見られないほど明るく鮮やかなカラーラインナップです。ベビーブルー、ソフトベージュ、オレンジ、シルバーグレー、ピンク、ペパーミント等のカラーリングがあります。1998年のコレクションに合わせて初めて作られました。マーク・ジェイコブス氏が開発。鮮やかなカラーこそが特徴といえるラインです。ヴェルニは活動的でファッショナブルなイメージでまさに現代的な女性にぴったりのラインです。

買取価格レポート!

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥30,000でお買取いたしました!

    愛知県 ルイヴィトン モノグラム・チェリーブロッサム

  • 買取相場

    出張買取

    ¥124,000でお買取いたしました!

    和歌山県 ルイヴィトンダミエ・アズール

  • 買取相場

    出張買取

    ¥68,000でお買取いたしました!

    福岡県 ルイヴィトン バケットGM

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥42,000でお買取いたしました!

    神奈川県 ルイヴィトン アーシペルライン

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥20,000でお買取いたしました!

    鹿児島県 ルイヴィトン ポルトフォイユ・サラ

  • 買取相場

    宅配買取

    ¥67,000でお買取いたしました!

    宮崎県 ルイヴィトン ダミエエベヌ

  • 買取相場

    出張買取

    ¥240,000でお買取いたしました!

    栃木県 LOUIS VUITTON キャリーバッグ

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥182,000でお買取いたしました!

    東京都 ルイヴィトン ダミエ リヴォリMM

  • 買取相場

    出張買取

    ¥180,000でお買取いたしました!

    神奈川県 ルイヴィトン ブレスレット

  • 買取相場

    出張買取

    ¥74,000でお買取いたしました!

    岩手県 ルイヴィトン モノグラムアンプラント 財布

  • 買取相場

    宅配買取

    ¥150,000でお買取いたしました!

    和歌山県 ルイヴィトン ネヴァーフルMM

  • 買取相場

    店舗買取

    ¥190,000でお買取いたしました!

    千葉県 ルイ・ヴィトン セレネMM ショルダー

買取価格レポート!

全国のジュエルカフェ店舗、宅配買取・出張買取にてお買取した商品の買取価格をご紹介いたします!

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ジュエルカフェが選ばれる理由

業界最大級の安心と、買取総数170万件以上の実績!様々な買取品目を高価買取実施中!

  • 業界最大級の店舗数業界最大級の店舗数

    ジュエルカフェは日本全国に直営店200店舗以上を展開する超大型買取専門店!多くのお客様からの信頼とリピートをいただき、圧倒的な買取実績を誇ります。大手ショッピングセンター内や好立地にございます。

  • 驚きの高価買取驚きの高価買取

    国内・海外で多くの流通ネットワークを持つジュエルカフェなら、お預かりした商品の価値を最大限に引き出した驚きの高価買取が可能です!最新の市場価格を反映した最大価格でご案内いたします。

  • 高いリピート率高いリピート率

    高価買取・スタッフのサービス・豊富な品目・入りやすいお店作り。その全てが高いリピート来店数に現れています。ジュエルカフェでは多くのお客様に喜びの声をいただいております。

  • スピード査定スピード査定

    全国のショッピングモール・駅前に業界最大級の店舗数を持つジュエルカフェなら店頭買取にて最短10分で現金化いたします。お急ぎのお客様はぜひお近くのジュエルカフェにお越しくださいませ。

  • 査定・送料全て無料査定・送料全て無料

    ジュエルカフェでは金額査定・宅配送料・手数料などは一切無料!買取対象商品かわからない、価格だけ知りたい、そんな場合でもどうぞお気軽にご利用くださいませ。LINE査定やメール査定もお気軽にどうぞ。

  • 充実のサービス充実のサービス

    お客様から大好評の無料ジュエリークリーニング、リピート時にご利用いただける増額クーポン、店舗でのドリンクサービスなど、ご来店の感謝を込めてたくさんの無料サービスをご用意しております。

ご利用いただいたお客様の声

店頭買取 「ボロボロのブランドバッグがこんなに高く・・・!大満足です!」

自宅には、昔購入したブランドバッグがたくさんありました。当時若い頃に、あれもこれもと購入したブランドバッグなのですが、今使うには派手すぎたり、デザインが古いものばかりで数回使ったきりでタンスの肥やしになってしまっていました。私の知人が一度ジュエルカフェを利用したことがあり、親切に説明してもらったという話を聞いていたので、私もご近所のイオンモールにあるお店へ伺いました。開放的な店内で、スタッフの方がとても明るく迎えていただいたのでとても安心できました。今回はコーチ、ルイ・ヴィトン、シャネルのバッグなど4点見てもらいました。若いころに使い倒していたボロボロのバッグもあり正直出すのが恥ずかしかったのですが、「思い入れのお品でブランドも喜んでいますね」と優しい声をかけていただいて嬉しくなりました。スタッフさんも、これまでたくさんのブランド品を査定してきたベテランさんで、細かい査定ポイントを教えていただきました。私は「へ~へ~」しか言えない知識レベルでしたので、とても参考になり頼もしく思いました。そして査定の見積もりが出てビックリ!「こんなに高額になったの!?」と思わず聞き返してしまいました。古くてボロボロでも、海外で人気のデザインだったことが高額査定の決め手となったようで本当に嬉しかったです。また、店員の方が丁寧に保管方法やお手入れの方法まで教えてくれて、参考になりましたし、とても良心的だなと感じました。今回は試しに持ってきたものだったので、まだ自宅にある他のブランドバッグも持って来ようと思っています。本当にありがとうございました。

「ブランドバッグ高額買取も私たちの強みです!」

女性スタッフ

「ブランドバッグ高額買取も私たちの強みです!」
このたびは、ジュエルカフェへブランドバッグ・小物類をお売りくださいまして、誠にありがとうございました。今回お客様がお持ちくださったブランドバッグ等は、デザインが古いとおっしゃっていましたが、有名なブランドが多かったのと、定番デザインで使い易い商品をお持ちいただきましたので、細かく査定させていただいた上でお見積りを出させていただきました。お客様が高額になって驚いていらっしゃいましたが、私どもで海外流通ルートで売価可能商品と判断し提示いたしました。今回の結果に喜んでいただき、とても嬉しく思っております。まだご自身で使えるものもあるかと思いましたので、キレイに保つ保管方法やお手入れの方法も参考にしていただければと思います。また、お売りいただく機会がございましたら、ぜひブランドバッグ買取のジュエルカフェへお越しください。ブランドバッグ買取以外にも様々なアイテムを現在お買取しておりますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

女性スタッフ

店頭買取 「女性スタッフさんの対応で安心して売れました。」

ヴィトンのモノグラムのバッグとお財布を買い取っていただきました。年数が経った品物でもう使わないので、処分に困っていた所、近隣のショッピングセンターの店舗でポスターを見つけ眺めていたら女性スタッフさんに声を掛けてもらいその数日後に査定をお願いしました。無料査定とはいえ、買取のお店に入るのには勇気が必要でしたが、女性スタッフさんの笑顔に安心してお願いできました。いかにも中古という品物だったので、お値段が付くか不安でしたが、どちらも思った以上に高額買取になり、驚きました。内心、女性スタッフさんという事で、しっかり査定してもらえるのかなと少し心配でしたが、しっかりとした説明があり、信頼感がありました。お店もきれいでとても居心地が良かったです。またブランド買取の際にはお願いします。

「女性ならではのおもてなしの対応力が自慢です」

女性スタッフ

「女性ならではのおもてなしの対応力が自慢です」
先日はご来店頂き、誠にありがとうございました。お持ち頂いたお品物は創業者ルイ・ヴィトン氏のイニシャル「LとV」に、星と花を組み合わせ、1896年に作り出されたパターンのモノグラムラインのお品物2点でした。バッグとお財布はルイ・ヴィトン商品の中で定番人気のお品でしたので、製造時期に関わらず中古相場に極限まで近づけたルイヴィトン買取価格でご提示させて頂きました。当店ではブランドバッグ買取スタッフが日々真贋や商品知識の勉強に努めています。今後も安心してお売り頂ける接客・サービスを目指していきますので、ルイヴィトン買取やブランドバッグ買取のジュエルカフェへまたお気軽にご来店くださいませ。

女性スタッフ

店頭買取 「思っていたより高額買取りでした! 」

思っていたより高額買取りで嬉しいです。ボーナスの時期に思い切って買ったヴィトンのネヴァーフル。気に入ってよく使っていましたが、うっかり雨の日にバッグを落として水浸しにしてしまいました。新品の時より少し状態が悪くなってしまい、あまりにショックで手放すことに決めました。ブランドバッグ買取店の利用は初めてで、正直状態が良くなかったので値段が付くかも不安でしたが、話しやすいスタッフさんに丁寧に査定結果をお伝えしてもらえ、金額も思ったより高かったので納得して売ることができました。家に他のブランドのキーケースなど小物もあるので、また近日中に売りに行きたいと思います!

「日々めまぐるしく変わる中古市場の動向をチェックしています。」

男性スタッフ

「日々めまぐるしく変わる中古市場の動向をチェックしています。」
先日は、大切なお品物を査定、買取りさせて頂き、誠にありがとうございました。今回の査定品はヴィトンのネヴァーフルは2007年にモノグラムラインから発売され、一気に完売したヒットアイテムです。どんなに入れてもいっぱいにならない(Never full)という名前どおり、収納力が高いため、マザーバッグに使う方もいるようですね。人気の高いバッグなので、商品の中古市場相場にお客様の思い出料金をプラスして高額でブランドバッグ買取させていただきました。高額でブランドバッグ買取するため、逐一中古相場の動向をチェック、商品の流れを見ていますので、人気の商品で在庫数が少ない物は高額買取りに結びつき易いです。定番人気のルイヴィトン買取以外のブランド商品ついても店舗で丁寧に査定対応いたします。店舗に出向くのが難しい場合は、出張買取りや宅配買取りも承っておりますので、お客様のスタイルに合わせた査定方法をお選びになってくださいね。では、ブランドバッグ買取のジュエルカフェへまたのご来店をお待ちしております。

男性スタッフ

ルイヴィトン買取について

世界中から憧れのまなざしを受ける、ブランド品の代名詞と言っても過言ではないビッグネーム「ルイヴィトン」。日本国内だけで年間1500億円以上を売り上げ、そのデザインの美しさと高い実用性などの理由で世界で最も愛されているフランスの一流ブランドです。歴史は古く、時代は1854年にまで遡ります。創業者は現在のブランド名になっている、ルイヴィトン(Louis Vuitton)。ルイヴィトンが生まれたのは、1821年。日本で言えば伊能忠敬の日本全図が完成、ペリー来航の時代です。ルイヴィトンはあまり裕福とは言えない境遇で育ち、1835年、とうとう義母との折り合いが悪くなりほとんどお金を持たないまま家出します。その後行き着いたのは当時「光の都」と言われていたパリでした。元々、父の影響で職人として働いていたルイヴィトン。ルイヴィトンはパリで、トランク製造兼荷造り職人として働き始めます。ここで才能を発揮したルイヴィトンは1854年当時世界初となる旅行用バッグの専門店を立ち上げます。当時の旅行用バッグとしては、豚革でできた丸いフォルムのバッグが主流でした。当時の移動手段としては馬車が主流でしたから、馬車の後の荷台に積むには丸いバッグの方が適していた訳です。しかし、革製のバッグは水に弱くとても重いという難点がありました。その頃は急激なスピードで輸送技術が発達した時代で、馬車から船や機関車に移動手段が発展していきます。1858年、時代の変化に気が付いたルイは画期的なトランクを発売します。トランクをポプラ材で軽量化し船や機関車で積み重ねて固定できる平らな形状、軽いコットン素材に防水加工を施した「グリ・トリアノン」です。実用性も兼ね備え、モダンで明るいグレーのキャンバス地の平型トランクは一躍評判を呼び、1867年パリ万博で銅メダルを授与、世界的な評判を獲得し、名実共にハイブランドへと成長していきます。ルイヴィトン買取はブランド買取市場で最も多い買取のブランド商品でもあります。それだけ多く売られている人気ブランドです。

ルイ・ヴィトンの歴史

ルイヴィトンがシティバッグの製造を開始したのは、20世紀初頭にバッグがさまざまな装いに必要不可欠なアイテムとしての存在価値を確立したのと同時期になります。トランク専門の製造業者として1854年に創業したルイ・ヴィトンは、事業の発展に伴い、レザー素材のバッグの製造に乗り出します。工業技術の進歩が著しかった時代に、社会の進歩や時代のエッセンスを身近な服飾品の中に凝縮させる力量を持っており、この挑戦によって強みを増していきます。1880年にはジョルジュ・ヴィトンが、アニエール=シュル=セーヌのアトリエを増設し、皮革製服飾雑貨部門を立ち上げます。レディースのハンドバッグがルイヴィトンのカタログにはじめて登場するのは1892年です。公式記録によれば、もっとも古いカタログになります。ヴィトンはこの2つの出来事の間に方向転換をはかり、主力製品をトランクからハンドバッグに切り替えます。ブランドを象徴するあらゆるアイコンバッグを世に送り出していく準備は、この段階で整いました。創業者の息子であるジョルジュ・ヴィトンは、父親の業績を引き継ぎながら、新しい課題として、女性たちのワードローブに加わるべきアイテムをデザインする仕事に打ち込みました。ハンドバッグは、約束された将来への導き手でした。誰もが欲しがるこのファッション雑貨を時代のスピリットと共振させていくという果てしない探求は、ここからスタートしました。ルイヴィトンのバッグを唯一無二の存在としているのは、品質の一貫性であり、原則を忠実に守りながら、多種多様なフォルムと機能のバリエーションを生み出し、巨大な系譜を作り上げたことにあります。そこでは新作モデルが過去のモデルと心を通わせ、示唆に富む言葉を交わし合うことができます。

ハンドバッグ周囲の情勢が、こうしたレザーバッグの開発を歓迎するものだったことも大きくありました。旅行の形態は現代化されつつあり、衣服のデザインやショッピングの方法も進化しました。汽車や自動車や船を利用する新しい時代の旅のあり方を見据え、ルイ・ヴィトンはバッグの規格を統一し、持ちやすさと実用性を重視しました。ハンドルがついたレザーのハンドバッグは、旅行者が手元に置いておくことができ、木の本体に布を張ったスティーマー・トランクのサブバッグとして重宝します。持ち歩きのできる手にさげるタイプのバッグの先駆けとして、グラッドストン・バッグが発売されたのは1885年になります。このバッグは今も、ヘリテージ・コレクションに保存されています。1892年のカタログにはサック・ド・ニュイも登場し、セミソフトタイプのレザー・バッグの可能性を探求する方向へ、大きな1歩を踏み出します。1900年頃に発表されたスティーマー・バッグは、より規格化が進み、折り畳んでトランク内に収納し、必要な時だけ広げて使えたので、大西洋を横断する船のキャビンで、リネン類や土産物を入れるのに最適なサブバッグとなりました。自動車旅行では、1890年に発表された洗面キット、1892年のカタログに掲載されたサック・ガルニ(フィッテド・バッグ、洗面化粧用品キット)、サック・ド・ニュイ(オーバーナイト・バッグ)、あるいは綿麻素材のサック・ア・ランジュ(ランドリー・バッグ)などが、トランクに足りない機能を補うバッグとして活躍します。トランクは車体の後部に積んだままにしておけるようになりました。ただしトランクはまだ重く、ポーターのサービスを必要としました。同じ頃、汽車旅行でも、別のタイプの小型で軽いバッグへの需要が生まれました。汽車では乗客がコンパートメントに閉じこもっていなければならず、快適に過ごすための便利な設備がありませんでした。1900年前後には、身体にぴったりフィットするヒップハングのスカートが新たな流行として登場しますが、このシルエットだとポケットがつけられません。それまではアンダースカートの内側に小さな布の袋を吊りさげ、そこに身の回りの小物を隠し持っておけましたが、それができなくなりました。それに代わるものとして注目を浴びたのが、レディースのバッグになります。ルイヴィトンは1892年の時点でカタログに「LVのレディース・ハンドバッグ」という欄を設けており、ファッション界における新しい動向に対応する準備があることは証明済みでした。また1つのトレンドとしてショッピングがありました。ショッピングは、まだ都市部における娯楽の1つとして定着するには至りませんでしたが、余暇の過ごし方として関心を集めていました。女性たちはショッピングを口実に外に出かけ、ウインドウショッピングを楽しみ、店先に並ぶ品々を熱心に物色しました。鍵、ハンカチーフ、小銭などの細々した携帯品を入れて持ち歩けるハンドバッグは、温かく居心地のよい自宅と、誘惑に満ちた公共の場を、不安なく結びつけるのに一役買ったのです。

1903年のカタログでルイヴィトンは、黒のモロッコ・レザーとピッグスキン・レザーのレディース・ハンドバッグを、20、25、30、35cmの4通りのサイズ展開で提案します。これなら使い手は、外出先でどの程度の「ちょっとした買い物」をするかに応じて使い分けができます。自家用車での外出にとフラット型のバッグも数通りのサイズが用意され、身の回りの小物類や旅行用の携帯品を持ち歩くのに役立ちました。バッグというアイテムが、中身に応じて使い分けるのが望ましいことを、ルイヴィトンが見通していたことは明らかでした。当時のバッグ市場には、1つの傾向がありました。アイテムの機能や特性よりも、個々のモデルやシリーズの名称に多大な関心が払われていました。旅や日常からの解放をテーマに、輝かしい歴史を持つ通り、由緒ある土地、河川、行楽地、異国情緒豊かな都市などの名前が選ばれました。

レティキュール偉大なるクチュリエ、ポール・ポワレによってファッション界が転機を迎えたのは、1906年頃になります。ベル・エポックの旧式のシルエットに別れを告げた彼の服は、ナポレオン時代(エンパイア時代)の古典的なチュニックからヒントを得て、コルセットをなくしたデザインでした。ハイ・ウェストで裾が広がらず直線的なスカートは、「I字形」シルエットを形作り、ドレスを着て歩くためには、レティキュールを持ち歩くことが再び必要になりました。レティキュールとは、長い引きひものついた小物入れのことで、その名称は古代ローマの網目細工、レティキュラムに由来します。ルイヴィトンは、ファッション界に起きたこの変化を受け、1910年のカタログ「La Promenade des elegants』に、数々のレティキュールを登場させます。ピエール=エミール・ルグランのイラストに描かれた、スカートスーツ姿のエレガントな女性たちは、レザー、シールスキン、リザード・スネークスキンのバッグを持っています。他方、タッサーシルク、ヴェルヴェット、「ジャパニーズ」シルク、アンティークの刺繍入りシルクなどを素材とするバッグを持つのは、観劇用ドレスに身を包んだ女性たちです。留め具には銅、ブロンズ、銀、金が使われ、ハンドルの端にはタッセルがさがっています。「エレガントな女性たちはもはやたった1つのバッグだけでは満足しない」ことをこのカタログは告げ、真に必要とされるレディース・バッグ「一揃い」を提案しています。こうして、この頃にバッグは、ショッピング用の四角または長方形の大型バッグと、「極めてエレガントな」シティ・バッグにグループ分けされました。厚みがあまりなく、「これまでにない軽さと持ちやすさ」を誇るシティ・バッグのおかげで、お抱え運転手を連れて自家用車で外出するような身分の高い女性は、身の回りのかさばる小物を車に置いたまま歩き回れるようになりました。

シティバッグ1914年は、ルイヴィトンにとって特別な年となりました。シャンゼリゼ通りに、世界最大のバッグ専門店となる立派なストアがオープンしたからです。開店を祝し作成された65ページの分厚い力タログは、レディース・バッグで埋め尽くされていました。しかしほどなく第一次世界大戦が勃発し、事業を大幅に縮小せざるを得なくなります。世界でもっとも美しい通りに位置する新店舗でさえ、フラット型のシティ・バッグの売り上げは、シンプルなものも装飾性の高いものも、軒並み減少しました。金具の原料不足を受けて考案されたポロネというモデルの生産も、1922年頃には打ち切られました。

戦争の勃発と同時に製品の総合カタログは作られなくなり、代わりに、小さな中に魅力が詰まった個々の製品別パンフレットが作成されました。凝ったイラストを使い、丁寧にデザインされたパンフレットには、アートの歴史にちなんだモチーフがしばしば使われ、ハンドバッグは、新しいアーティスティックな文脈の中に位置づけられました。その中で光が当てられたのは、プレゼントを贈る喜びと、ハンドバッグの贈り物としての新しい可能性でした。服やヘアスタイル、メイク、ジュエリーと同じレベルで、バッグも実用性より美しく装うためのアイテムという性質が濃くなり、バッグを持つ洗練された女性の姿が称賛されました。ルイヴィトンのバッグが雑誌『Femina』『L’Art et la Mode』『Excelsior』などの誌面に登場するようになったのもこの頃になります。

パーティーとダンスに人々が明け暮れた、”狂騒の20年代”には、夜ごとの集いに似合う華やかな服装が求められました。タンゴやチャールストンを踊るためのドレスにはスパンコールやフリンジがたっぷりと施され、照明でキラキラ光ります。そうしたドレスに似合うように、アクセサリー類も洗練されていきました。エクストラドライのシャンパーニュが次々に飲み干されていくナイトクラブで女性たちは、ギャルソンの手を借りつつ、お酒落なミノディェール(化粧ポーチ)をつねに手元に置き、メイク直しをしました。当時のルイ・ヴィトンのカタログには、鏡がつき、ファンデーション、口紅、ハンカチ、ヘアピン、財布、タバコなどを入れる仕切りのあるヴァニティ・ケースやフィーユが登場します。昼の街も、クラッチ・バッグを手にすることでシャペロン(つき添い)を連れ歩く必要がなくなった若い女性たちで活気づいていました。彼女たちが好んで着たのは、アール・デコ調のすっきりした幾何学フォルムのドレスです。ルイヴィトンは、フラット型のポシェットだけでなく、ドーフィーヌなどの装飾性の高いショルダー・バッグにも、アール・デコのモチーフを大胆に取り入れました。中でも抜群の完成度を誇ったのは、雑誌『Mobilier et Decoration,』1925年7月号に掲載されたモデル、または同年に開催されたパリ万国博覧会の出展品になります。自由を手にした新時代の女性たちの社会的立場の多様性を踏まえ、観劇用、ダンスパーティー用、シティ用、スポーツ用など、各種のバッグを目的別に提案しました。

大型多目的バッグ1920年代には、ファッショナブルであることが現代的とされました。現代的であるためには、冬はスキーを、夏はテニスやゴルフを楽しむなど、スポーツ好きであることが必須でした。若い女性たちは自分でマイカーを運転し、レーシングカーで時速100kmを超えるスピードを出して記録を塗り替えていく女性ドライバーも現れました。ガストン=ルイ・ヴィトンの顧客には著名人も多く、オート・クチュール界からはジャン・パトゥ、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランヴァン、そしてガブリエル・シャネルといった大物たちが名を連ねました。リュ・カンボンのクチュリエがトラウザーとストライプのセーラー・シャツに身を包むようになると、あらゆる服飾メーカーが独自のスポーツウェアの開発に乗り出し、ルイヴィトンはこの時期、サック・ア・ランジュのフォルムを発展させたサック・マリーンを世に送り出しました。さらに、コットン・キャンパスのキーポル、別名「ティアン・トウ」または「グローブ・トロッター」や、1930年前後にはスピーディを発表し、現代性という概念がスピーディな動きによって表現された当時の社会において、週末用のバッグの真のパイオニアとなりました。軽い持ちごこちのバッグとして他にはアルマの先祖にあたる1934年のスクワイア・バッグ、サック・ド・プラージュ、そしていくつかのバケツ型バッグなどがあります。1930年代に入ると、上流社会の人々が空の旅を楽しみはじめますが、それはまだ、どこか冒険に近いものでした。1933年に設立されたエール・フランスは、旅客機を離陸させる前に、乗客 と荷物の総重量を正しく測って安全を期しました。客室乗務員は、体重が60kg以下の乗客しか通すことができず、体格のよすぎる乗客は、搭乗許可をもらえずに、地上に残らなければならない恐れがありました。やがて第二次世界大戦が勃発し、人々が観光旅行を楽しむ機会は減りましたが、大型多目的バッグへの需要は増え続けました。

00051896年に発表された当初は硬質な素材が使われたモノグラム・キャンバスですが、1959年にソフトタイプが開発され、ルイヴィトンのシティ・バッグのデザインは新たな輝きを獲得しました。価格が手頃で軽く柔軟性が高いモノグラム・キャンバスの登場で、客層はぐっと広がりました。スピーディやキーポルなどの機能性とフォルムは、一段と進化しました。新素材の利点が特に活かされた最初のアイコンバッグの1つがノエです。1932年に、シャンパーニュのボトルを5本持ち運ぷことができるバッグとしてレザーで製造されたノエですが、1960年頃にモノグラム・キャンバス版が誕生すると、ファッショナブルなアイテムへと変貌を遂げるようになります。当時の女性誌を見ても、このヴァージョンが大成功であったことがよくわかります。ノエと双子の関係にあたるバケットも、特にアメリカの顧客からの要望が多かったことを受け、1968年にモノグラム・キャンバス版が作られました。

おしゃれな女性の広告1960年代には、若者文化が、先行世代とは反対方向に向い、社会への享楽的なビジョンを下敷きにした新しいライフスタイルが提唱されました。若い女性たちは、過去の年月でいかにもブルジョワっぽい雰囲気が染みついたハンドバッグを手放し、代わりにトートバッグやスクールバッグで軽快に装いました。ルイヴィトンも、1968年の五月革命がもたらした自由な空気を映し出すバッグを開発しました。広く世の中が余暇社会となったため、夏の休暇には行楽客がこぞって地中海のビーチに足を運び、カプリ島やサン=トロぺでは、おしゃれな人々が腕に得意気にビーチ・バッグをさげて、映画や雑誌が描き出す世界に対する庶民の夢を具現しました。オードリー・ヘプバーンが力スタム・ヴァージョンを特注したことで有名になったのはスピーディです。モデルのツイッギーが愛用し、その成功に大きく貢献したのは、キーポルのバリエーションとして1966年にデザインされたパピヨンになります。1970年代には、自然回帰の風潮が高まるとともに、型にはまらない生き方が志向され、都会の人々が自然との調和を求めて田舎や辺境の地を訪れました。ショルダー・ストラップつきのバッグは、そうした「クール」な生き方を象徴するアイテムであり、ベルボトムのジーンズやショートパンツやロングスカートに合わせるバッグとして急速に普及しました。1978年にはルイヴィトンも、自然を愛するハイカーのためのバッグとしてランドネを発表しました。

ニューコレクション1970年代の終わり頃、ルイヴィトンは新たな領域の征服を目指し、重要な転換をはかります。販売網の拡大による、国際規模でのさらなる顧客獲得です。1978年には日本初のストアが東京に、1981年にはニューヨークにオープンします。新戦略は、つねに探求を重ねて新機軸を求めるブランド創設以来の企業理念に新たな推進力を与え、異なる文化圏でのそれぞれの使い方に応じた新製品がデザインされていきました。成功のカギの1つとなったのは、どの製品にも、ルイヴィトンを愛用する顧客ならすぐにわかる馴染み深い要素を組み込み、新しく使いやすいデザインにしたことです。一般に女性たちは、季節の違いや外出の目的に合わせて使い分けられるよう、いくつかのバッグを持ち、できるだけ長く使おうとします。持ち主の手入れがよければ、耐用年数は10年を超えます。しかし1978年頃にルイヴィトンは、このような皮革製品に対する古風な考え方からの差別化を決意します。その第一歩として企画されたエットレ・ソットサス、ガエ・アウレンティ、マリオ・ベリーニ、クリノ・カステリ等との賛沢なコラボレーションは、コレクションにかつてない新鮮な空気を吹き込みました。さらに、独立系のデザイナーとしてシューズ・デザインの分野で活躍していたカミーユ・ウングリックに協力を呼びかけ、そのスキルをハンドバッグの分野に応用し、新しいデザインに結実させました。こうした分野横断的アプローチから生み出されたのがサンクルー、シャンティー、サンリスなどになります。1982年にはデザイナー、グザヴィエ・ディソがルイヴィトンに入社し、総合デザイン部門を立ち上げます。過去のプロジェクトに参加した名だたるデザイナーたちの活躍に触発され、新たな発明への好奇心を膨らませ、本格的な実験室を設置して研究チームを編成し、最新技術を駆使して合成素材の研究を進めました。ケプラー(アラミド繊維)と炭素繊維の実用化に誰よりも早く取り組んだ研究チームは、伝統的なバッグの製造技術とこれらの画期的な新素材の融合に成功します。マドンナが出演した映画『マドンナのスーザンを探して』が1985年に公開された時、その中で手にしていたルイヴィトンのボワット・シャポーへの注文が殺到し、業界を驚かせるほどの大流行となったのは周知の事実ですが、これがハイテク技術のたまものであることに気づく顧客はいなかったかもしれません。蓋の内側に隠れる炭素繊維は、このアイテムを一段と軽く、丈夫なものにしていたのです。

化粧ポーチ1980年代の目覚ましい成功を支えたのは、キャリアウーマン、成功者、トップ・アスリート、ロックスターなど、時代の寵児たちによって表現された力強いイメージへの憧れです。ジョギング人気の高まりがアメリカからヨーロッパへと広まったのは、健康でたくましいボディを手に入れることが自律した個人の象徴と捉えられたためですが、その結果、両手を空けておけるシティ・バッグへの需要が生まれました。ルイヴィトンのバックパックがとびきりファッショナブルなアイテムとされ、同時に小振りなサコッシュベベ・サンクルー、ポシェット・スクレット、マルリー、ヒューストンなどのバッグも人気を博しました。1985年には、溌刺とした活動的な雰囲気を表現するエピ・レザーのラインが登場します。耐久性のある型押しの革は、かっちりとしたデザインのバッグに適し、サン・ジャック、クリュニー、ゴブランといった幾何学的な形状のバッグが作られました。長期にわたり大ヒットするこのエピのラインは、ルイヴィトンのバッグに色の革命を起こし、それが1980年代に流行した「シック・エ・ショック(chic et choc)」のスタイルと呼応しました。さらにエピのラインで展開されたのが、この時代にもう1つした黒のシリーズになります。1983年にアタッシュ・ケースが、1984年にはポルトドキュマン.ヴォワイヤージュ(ブリーフケース)、1986年にはサコッシュエピ・レザーが誕生し、男女を問わず、洗練された大人たちの問で大評判となりました。

格式あるシティ・バッグ1990年代初頭には、スティーマー・バッグ、キーポル、スピーディといったブランドを代表するバッグが、格式あるシティ・バッグとして生まれ変わりました。旅行バッグとされていたスピーディは、何でも入る大型のハンドバッグとなり、今も高い人気があります。カシュ・プレッドはヴォワイヤージュモデルのブリーフケースに、エクスプローラーズ・カメラ・バッグはアマゾンになりました。フィードルバッグ・サドルバッグが見事な復活を遂げたのは、1996年になります。1994年には、黒で人気を博したトライアングルとカンヌが鮮やかな色で再登場し、前者は黄、後者は赤が大ヒットしました。そして、1992年にはついにアルマがシティ・バッグとして再出発し、同ブランドを象徴する定番モデルとして揺るぎないものになりました。90年代は、空港や定期航空路の拡充と、経済面でのグローバル化により、旅慣れた旅行者が増えた時代になります。ルイヴィトンは、スーツケースの実用性を高めるアイデアを探りました。アジア圏の旅行者がよく使うスーツケースには、荷物を分類して収納するための内ポケットが15個ほどついていました。そこからヒントを得て、自身の伝統的なバッグ作りの手法と融合させ、大きなトランクの内部を取り外し可能な補助バッグでいくつも仕切る方法を考案しました。このアイデアはシティ・バッグにも応用され、ポシェット・アクセソワールの成功へとつながりました。同じアイデアに基づき、パピヨンには、ゴルフボールケースに似た小振りな円筒形のポーチをつけました。このポーチをショルダー・ストラップに引っかけ、バッグ本体の外側にさげる使い方を真っ先にはじめたのが日本人になります。盗みに対する警戒心の強いヨーロッパ人には想像もできない思いつきでした。日本の女性たちは、ランチタイムになると、この実用的な小さいポーチを本体から取り外し、臨時のバッグとして単独で使います。バッグの中に入れておくはずの付属品を1つの独立したシティ・バッグとして使う方法を他国の人々が真似しはじめたのは4~5年も経ってからになります。本体の外に出して使うことが可能なこうした付属品は、母親世代にも娘世代にも喜ばれ、1990年代の主要なファッション・トレンドの1つとなりました。イヴニング・バッグに似ていながら肩にかけられるルイヴィトンのポシェットは、若い女性たちの1つ目の高級ブランド品としてちょうどよく、洗練された小型のハンドバッグが似合う大人の仲間入りをするための通過儀礼として、彼女たちの心を躍らせました。ポシェットはまた、腕にさげて持てば、レディース・ハンドバッグを若々しく再デザインしたバッグに見えます。こうしてルイヴィトンのポシェットは、長い歴史の中で、ハンドバッグというアイテムと同時に、ブランドそのものを若返らせる役割を果たしました。

ニューライン1990年代にルイヴィトンは、機能性だけを基準にさまざまな型を個別にデザインする方法を改め、製品ラインを設定して、一目で見分けられる特徴的なパーツを共有させるという、現代的なアプローチを採用しました。例えばモンスリ・バックパックは、ランドネの底面とノエのボディとビバリーのフラップの組み合わせになります。こうしたデザインの一貫性に対する意識は、ダヌーブ、アマゾン、トロカデロ、ナイルで構成されるフルーヴのラインを揺るぎない成功に導きました。モンソーに代表されるセリエのラインも、サドル・ステッチとくっきり形作られた輪郭とSロックという共通の特徴が際立ちます。しかし、全体的な状況を突き動かし、伝統的なハンドバッグの売り上げを回復させたのは、LVMHグループのCEOベルナール・アルノーの主導で成し遂げられた、ブランドの大変身になります。ルイヴィトンは、プレタポルテに参入したのです。ベルナール・アルノーの選任により、1990年から2012年まではイヴ・カルセルがルイヴィトンのCEOを務め、彼らに率いられて豊かな遺産に恵まれた現代企業として生まれ変わり、ファッション界と高級ブランド市場で中心的役割を果たしていきます。エコール・ポリテクニークの卒業生であるカルセルは、戦略・開発担当ディレクターとなり、短期的なビジョンと長期的なビジョンをつなぎ合わせた大胆な賭けを遂行しました。

伝統と革新進化の第一段階が起きたのは、1996年のモノグラム・キャンバス生誕100周年祭になります。ジャン=マルク・ルビエとジャン=ジャック・ピカールの協議に、若いエディ・スリマンの助言が加わり、7人のもっとも才能ある独立系デザイナーが選ばれて、バッグづくりの全権委任状が渡されました。その7人とは、アズディン・アライア、ヴィヴィアン・ウエストウッド、マノロ・ブラニク、ヘルムート・ラング、ロメオ・ジリ、シビラ、アイザック・ミズラヒです。デザイナーたちは、モノグラム・キャンバスを使い、自由にバッグをデザインするという、誰もが驚く革新的な創作ゲームに参加することになりました。アズディン・アライアは、即座にヒョウ柄を使ったアルマのデザイン案を形にし、ルイヴィトンの担当チームを仰天させました。ハサミを手にしたこのデザイナーは、型紙もないまま布地をジャキジャキと切り、バッグに結びつけたのです。まるで手品のように、バッグの完成見本が現れました。いつものハンドルが消え、ヒョウ柄のポニースキンが赤ちゃんの抱っこひもの要領で巻きつけられたアルマです。ヘルムート・ラングは、テレフォンケースから発想を膨らませてDJのためのレコード用ハードケースをデザインし、ファッショナブルなヒップホップシーンのスピリットを表現しました。ルイヴィトンは、ファンタジーとオリジナリティを表現できるブランドであり、そうした特質は、バッグと皮革製品を扱う伝統あるブランドという格調高いイメージと決して矛盾しません。ベルナール・アルノーはさらに、1997年にプレタポルテ部門を立ち上げ、デザイナー、マーク・ジェイコブスを起用することで、ルイヴィトンがファッション界の一員であることを明確に打ち出します。ジェイコブスは、優れた技術と長い歳月で培われた経験を持つルイヴィトンでなら、どんなに途方もない夢も実現し得ることを理解していました。1998年、パテント・レザー(エナメル素材)に型押しを施したモノグラム・バッグのデザインを開始します。以後、女性のハンドバッグの分野で独創的な試みが堰を切ったようにあふれ出し、バッグはアイデンティティのあるファッション雑貨として、シーズンごとの最新ファッションに大きな影響力を及ぼすアイテムとなりました。

コラボレーションマーク・ジェイコブスが新しいハンドバッグ工房を組織する間、古くからのスタジオは定番ラインの見直しに集中しました。ブランドの系譜を検証し、偉大なる先祖の遺産に再考を加えて、都会的な顧客に似合うようバランスを調整する作業です。2007年のネヴァーフルは、1960年代のビーチ・バッグの流れを受け継ぎながら、サイズを中程度に抑えた新作であり、ニースは、1920年代のヴァニティ・ケースの現代版です。また、1999年のルーピングやネオ・メッセンジャーなどは、テクノ音楽やレイヴの影響でDJバッグの流行を受け、いくつかの古典的なバッグを下敷きにしてショルダー・ストラップを追加したモデルです。2001年にはマーク・ジェイコブスがアート業界に襲撃をかけ、アーティスト、スティーブン・スプラウスとコラボレーションを行い、一連のバッグ・コレクションをランウェイで発表しました。モノグラム・キャンバスを覆い尽くすスティーブン・スプラウスのグラフィティは、怖いもの知らずの大胆さでブランドイメージを強力に増幅させました。以後も村上隆(2003年)、リチャード・プリンス(2007年)、ソフィア・コッポラ(2009年)、草間禰生(2012年)らとの間で、アートとファッションとの対話は続けられていきます。アーティスト村上隆が再解釈したモノグラム・キャンバスの成功には、このブランドに対するマーク・ジェイコブスのヴィジョンが反映されています。2006年には、シャンゼリゼのルイヴィトンにオープンしたエスパス・キュルチュレルで『Icons』展が開かれ、選ばれたアーティストたちがアイコンバッグを素材に作品を制作し、展示しました。例えばシルヴィ・フルーリーの素材はキーポル、ザハ・ハディドはバケット、アンドレ・プットマンはスティーマー・バッグ、坂茂はパピヨンでした。

これからのルイヴィトン次の10年が幕を開けた2010年、ルイヴィトンのシティ・バッグは、市場で主流となったネオ・ミニマリズムのトレンドを見据え、全体的に攻めの姿勢が抑えられました。結果、バッグのサイズは小さくなり、ロゴや各種の遺伝子コードは目立たなくなりました。例えばモノグラム・アンプラントは、柔らかいカーフスキンに控えめにエンボス加工を施したバッグであり、稀少な外国産のレザーの質のよさが際立つよう、ベーシックなフォルムが再解釈されています。1958年のフール・トウの直系の子孫として2006年に新たに発表されたロックイットは、クロコダイルをはじめとする最高級のレザーで、よりラグジュアリーな方向に進化しています。この流れに沿って、皮革製品部門のデザイン・ディレクター、ニコラス・ナイトリーが研究チームを率いて新たに取り組んだのは、アルマ、ノエ、スピーディ、キーポル、ネヴァーフルに最高級のレザーを使い、細部のデザインや全体のバランスを調整して、新たな進化を遂げさせる試みでした。2013年には、一連の研究の締め括りとして、柔らかな仕上げのエピを発表し、本来は硬質であるはずのレザーという素材に真っ向から挑みました。ロックイットは、専門のオート・マロキネリー(高級皮革製品)・サロンだけに生産を任せる方式となりました。1980年代に流行った小振りなバッグをヒントに、「真の、伝統ある、マロキネリー(皮革製品)らしい、少しだけ古めかしい特徴」を持つようデザインされたのは、ゴールドの金具のついたジュリエットです。機能性と古くからの特徴を併せ持つデザインは、街行く人々の新しいバッグの持ち方によく馴染みます。イヴニング・バッグにもなるし、大きなハンドバッグのバッグ・イン・バッグとしても使えるし、自転車やバイクに乗る時にも重宝します。ここでのロゴは、バッグを飾る装飾品に近く、アクセサリーのようにバッグに華を添えます。持ち物の安全を守る留め具は今や、秘密の香りを詩的に漂わせるパーツです。

ブランドのアーカイヴを見直す作業は、皮革製品のデザインについて、ニコラス・ナイトリーのチームにインスピレーションを与えてくれるだけでなく、マーク・ジェイコブスがシーズンごとにランウェイで披露する創造性をより豊かに育む効果も持ちます。また、世界中のストアおよび顧客間の巨大なネットワークを通して提供される情報は、デザインチームが顧客の要望を把握するのに役立ちます。製品開発部門でのデザイナーのアイデア出しは、パタンナーや皮革素材の専門家との共同作業です。製品の品質基準は極めて高く、新製品の1つ1つに実施されるテストの回数も非常に多くなりました。時には、1つのアイデアに50回も変更を加えなければ完成に至らないこともありました。ただアーツィーのように、初回のテストで1つのバッグが生まれるケースもありました。専門家がこのように連携すれば、製品の隅々にまで確実に配慮を行き届かせることが可能になります。新しいモデルで、純粋に華やかさだけを追い求めることはできません。ルイヴィトンのファミリーの一員としての特質を失うリスクは避けなければなりません。ファッションという1つの動的な事象の発展に、独自のかたちで寄与してきたルイヴィトン。このラグジュアリーブランドの歴史が伝えるのは、つねに自身の出自を重んじる姿勢を貫いた、1つのブランドの物語です。さまざまなスタイルと用途を持つシティ・バッグが互いにつながり合って形作る大きな家系図は、それぞれが新しい時代を生きた記憶に新たな意味を付与してくれます。

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